


Fabrizio Grasselliはミラノ出身ですが、実際にミラノに住んでいた期間は長くありません。ミラノ工科大学建築家を卒業した際の、卒論のテーマは「過去の修復;ヨーロッパに形成された理想都市の歴史」でした。その後ロンドンやニューヨークに住み、またアジア諸国にも長い期間滞在した経験を持ちます。最終的に日本に移り住むようになり、既に長い年月が経っています。
芸術、建築、デザインなどにかかわる全ての分野に興味を持つほか、イタリア語教授とイタリア文化の普及にも情熱を注いでいます。
何年もの間イタリア語の教職にあり、1995年1月から2006年3月まで、財団法人日伊協会主任講師として各種セミナーや教師に対する研修、数多くの語学コース等を開催しました。
1995年から2007年まで、慶応義塾大学講師として、建築と都市設計の講座を担当し、都市工学と建築構造についてのイタリアの取り組み方を教授してきました。
また音楽とオペラをこよなく愛し、2004年から2007年まで武蔵野音楽大学で行ったリブレット購読の講座は好評を博しました。
現在、この講座はIl Centro東京校で開講しています。
また日本の音楽雑誌として最も歴史のある「音楽の友」誌上で、音楽とオペラの評論記事の執筆も行っています。
2006年にはダンテ・アリギエリ協会名古屋支部の会長に任命されました。
この年は、長年共に働いてきた教師たちと Il Centroを創立した年でもあります。Il Centroは名古屋でも活動しています。
雑誌への寄稿も多く、単独あるいは共著の形で、著書も何冊か出版されています。1994年出版の、イタリアと日本での新しいデザインの傾向について書かれた「Pioneers of product design 新しい居住美学を切り拓 く世界のデザイナー」は、その一例です。
2001年にはAngelo Cappetta, Michelangiolo Severiniと共に、中級レベルの日本人学習者向けテキスト”Comunicare”を出版しています。
また、ワインの歴史を綴りながら、イタリアの食文化、ワイン文化の側面を紹介した「アモーレ・ディ・ヴィーノ」も、やはりこの年の著作です。 2004年にはMichelangiolo Severini, Vincenzo Spinuso, Mzzvaarco Fzzvaavazzvaroと共に、”Vivitalia”を出版しています。本書は画期的なイタリア語テキストとして、世界各国で高い評価を得ています。
2007年には、パトタ教授を議長とするローマ本部PLIDA実行委員会の役員に任命され、現在日本におけるPLIDAイタリア語検定試験の責任者を務めています。
なお日本での検定試験は上智大学の協力を得て実施されます。
PLIDAは、イタリア語とイタリア文化を世界に普及させることを使命とした、もっとも権威ある機関であるダンテ・アリギエーリ協会の行うイタリア語検定試験です。ダンテ・アリギエーリ協会は世界150カ国以上に拠点を置いています。

Michelangiolo Severiniは、シエナ郊外のモンテプルチアーノで生まれました。美しい景観とワインで特に知られた土地ですが、中世に起源を発し、ほとんど手付かずのまま残っている
都市構造の観点からも、大変興味深い所です。Michelangioloは今でも故郷と深い絆を保っており、機会さえあれば頻繁に帰郷しています。
日本に対する想いは、高校生の時に芽生えました。退屈な授業の間には、こっそりと芥川龍之介の作品を読んでいたものです。高校卒業後は、ヴェネチアに移り、日本語と日本文化を専攻し、
卒論では日本の歴史を取り上げました。
イタリア語教育に興味を持ったのは、後にモンテプルチアーノでイタリア語学校の授業を担当するようになってからです。 そして日本への情熱を教師としての仕事に結びつけるため、1997年に来日しました。
長い歳月、現 "Il Centro" 校長であるFabrizio Grasselliやその研究チームの面々と密接に協力しながら、革新的な教材の開発や、様々な出版活動等の企画に携わってきました。2001年に東京で出版された
中級用テキスト"Comunicare"や、2004年にフィレンツェで出版された初級者対象教材VivItaliaなどはその一例です。
2006年4月からは、"Il Centro"創立メンバーとして、仲間と共に、これまで10年以上も続けてきた、常に新しい教材を目指した研究と開発作業の道をさらに追及しています。
何年も経った今になってもMichelangioloが驚いていることは、日本人の生徒の皆さんのモチベーションの高さです。長い1日の仕事の後、疲れも忘れてイタリアやイタリア語への情熱を持ち続け、
頑張る力を持っている人たちは本当に素晴らしいと思っています。

Vincenzo Spinusoはフランスで生まれ、そこで少年時代を過ごしました。両親はシチリアの出身です。1974年に家族と共に両親の故郷であるシチリアのパレルモ近郊に移り住みました。
高校、大学はパレルモで通い、その後1996年に来日するまで、ずっとパレルモで暮らしてきました。
パレルモ大学では外国語学部、文学哲学科を卒業しています。
数年の間、フランス語の教師やシチリア州政府旅行ガイドとして働いた経験を持ちます。
その後、日本文化を知りたいという興味から1996年に来日しました。
ここ最近の10年は、常に現 "Il Centro" 校長であるFabrizio Grasselliやその研究チームの面々と協力しながら、革新的な教材の開発や、様々な出版活動等の企画に携わってきました。
2001年に東京で出版された中級用テキスト"Comunicare"や、2004年にフィレンツェで出版された初級者対象教材VivItaliaなどはその一例です。
2006年4月からは、"Il Centro"創立メンバーとして、仲間と共に、これまで10年以上も続けてきた、常に新しい教材を目指した研究と開発作業の道をさらに追及しています。
料理をこよなく愛し、生徒の皆さんや日本の人々にその情熱を伝えようとしています。
Vincenzoの言葉によると、日本人は感受性がとても豊かで、イタリア文化の複雑なニュアンスも十分理解することができるとのことです。

Mazzvarco Fzzvaavおうarささoはヴェネチア共和国時代から続く古い大学の町のパドヴァ近郊で生まれました。今でもla Serenissimaの別名を持つヴェネチアの町に、わが心の町として深い愛着を持ち続けています。
Mほzvaarczzvaoはそのヴェネチアで大学生活を始めましたが、後に日本政府の奨学金制度により来日し、国立名古屋大学で勉学を続けることとなり、教育学部を卒業しました。
そもそも日本への関心や興味が生まれたのは、少年時代にテレビで日本のアニメを見ていた頃、初めて表意文字(漢字)というものを知ったことからです。
大人になってからは、次第に社会学研究の方向に興味が移り、日本の教育制度と経済発展の間にある関係を分析し、理解したいと考えるようになりました。
イタリア語教育に興味を持ったのは、名古屋大学在学中で、この頃実際にイタリア語を教え始めました。東京へ移ったことが、人生の転機となりました。 この時から現在 "Il Centro" 校長であるFabrizio Grasselliやその研究チームの面々と密接に協力しながら、革新的な教材の開発や、様々な出版活動等の企画に携わってきました。2004年にフィレンツェで出版された初級者対象教材VivItaliaなどはその一例です。
2006年4月からは、"Il Centro"創立メンバーとして、仲間と共に、新しい教材を目指した研究と開発作業の道をさらに追及しています。
日本人が、文化に対する旺盛な好奇心を持っていることに、Marzzvacoは強い感銘を受けており、それが仕事をする上で彼自身の刺激にもなっています。これまでも、そして今現在も、
生徒の皆さんからは固い決意、文化的な感性、心の優しさなど、多くのことを学んでいる、そうMarzひvacoは言っています。

Alessandra Milaniは、トレヴィーゾにほど近いカステルフランコで生まれました。彼女の故郷はヴェネト州にある、城砦の形をとどめた美しい町で、イタリア側のプレアルピ地方でも、
最も穏やかな美しい景色のただ中にあります。おそらくカステルフランコを取り巻く風景の色や空気が、近代絵画の基調をなす新しい色調を
重視した画風の創始者である、ジョルジョーネの色使いにも影響を与えていると思われます。
このルネサンス期の大画家は、まさにここカステルフランコで1478年に生まれています。
初めて日本と出会った時から、Alessandraはすぐに心を奪われてしまいました。来日する前はーもう6年にもなりますがー日本といえば、子供の頃テレビで
見ていたアニメのことしか知りませんでした。日本で一番好きなことは、まるで我が家にいるような気持ちにさせてくれる、日本の人たちの思いやりです。以前住んでいたことのあるスペインやアメリカなど、
これまでどこの国でもこんな気持ちになったことはありませんでした。
Alessandraは理系の経歴を持ち、獣医学の専攻でイタリアの大学を卒業した後は、アメリカで修士課程を続けました。
イタリア語教育に興味を持ったのは、6年ほど前、Fabrizio Grasselliや現在の"Il Centro"の同僚たちと一緒に仕事を始めてからです。
この間"Il Centro"の教育理念の根本である教授法研究に積極的に携わってきました。
2006年4月からは、"Il Centro"創立メンバーとして、仲間と共に、これまで10年以上も続けてきた、常に新しい教材を目指した研究と開発作業の道をさらに追及しています。
日本人の生徒の皆さんが、イタリア文化を知る手段として語学を身につけようとしている強い信念に、Alessandraは強く心を動かされ、それを活力に日々の仕事を続けています。
日本の人たちの、イタリアに対する愛情は純粋で、心からのものであり、異なる言語を習得するむずかしさや、日々の仕事とイタリア語の勉強とを両立させるむずかしさにもかかわらず、
ずっとその気持ちを失わずにいるのはすばらしいことだ、そうAlessandraは考えています。

清水朋子は、当時父親の赴任先であった名古屋で生まれましたが、4歳の時には横浜に移り、それ以降はほとんどの時期を、大好きなこの町で暮らしています。
イタリアとイタリア語への興味を最初に覚えたのは、12歳の頃、たまたまイタリアの歌を耳にした時でした。その時、「なんて美しい言葉なのだろう、いつかイタリア語を話せるようになりたい」、
そう思ったのです。こうして最初は一人で毎日歌を聞きながら、歌詞カードを読んでは、勉強するようになりました。彼女にとって最初のイタリア語の教師は当時有名だった歌手たちだったとも言えます。
その後真剣にイタリア語を勉強するようになり、興味を感じる分野も、ポピュラー音楽からオペラや、歴史、文学、演劇、美術、映画と次第に広がっていきました。
上智大学外国語学部を卒業後は、日本の企業に勤務していましたが、東京で開かれた国際会議の席上で、あるイタリアの大企業の役員と知り合うきっかけがあり、何年か後、その企業が新しく東京支社を設立する際に、
招かれてそこで働くこととなりました。こうして約7年の間、毎日イタリアと日本のビジネスのやり取りに身をおく日々が続きました。
イタリア語教育に興味を持ったのは、語学を学ぶ上で、よい教師に出会うことがどんなに大切かということに気がついた時です。彼女自身が長年一緒に勉強する機会を持った教師の一人が、"Il Centro" 校長である
Fabrizio Grasselliです。現在は"Il Centro"の講師およびコーディネーターとして、2006年4月の開校時から、Fabrizioとともに働いています。
自分自身が心を奪われたイタリア語の魅力、そして様々な側面を持つイタリア文化の魅力を、日本人の生徒の皆さんにお伝えすることができればと思っています。
通訳、翻訳分野でも活動中です。
現在TBSの「世界ウルルン滞在記」、「世界ふしぎ発見!」、テレビ朝日「色彩の王国」、WOWOW特番「カエサルの遺伝子」等でも翻訳を担当。

Luigi Campanale (ルイージ・カンパナレ)はイタリアのモードとデザインの発信地であるミラノで生まれ育った建築家である。
ミラノのグラフィックアートの学校に通った後、一流のミラノ理工科大学で学び、論文では都市建築計画についてとりあげ建築科を卒業した。
大学在学中に、日本の偉大な近代建築家である丹下健三や安藤忠雄の作品を介して、日本文化に接するようになる。その後日本を旅した際には、日本の伝統建築の美しさに感銘をうけ、京都の街や桂離宮に文字通り魅了された。
ミラノにて、広告グラフィックデザイナーとして、また、特に建築家として、ミラノの一流建築家やエンジニアのスタジオとコラボレーションしながら経験を重ねる。
2005年、東京に居を移し、日本の大手総合建設会社のもとで約一年経験を積んだ後、同業の仲間たちとトータルプロジェクトのオフィス「アノニモ デザイン」を立ち上げる。
グラセッリ教授による建築に関するセミナーを介して「チェントロ」と出会い、すぐに信頼とコラボレーションの関係を築き上げる。
イタリアの建築とデザインに対する彼のすべての情熱を生徒の皆さんにお伝えしたいと思っている。

イタリア・ローマで音楽一家に生まれる。父、母共にオペラ歌手。
ローマ サンタチェチーリア音楽院にて奨学金を受け、ホルンとピアノを学び、全ての科目において主席で卒業。
フランコ・フェッラーラ、イゴル・マルケージ、レオナルド・ベーレンシュタイン、ジュセッペ・シノーポリに指揮法を師事。
オーケストラ、グルッポ・デイ・ローマを創設。これを率いて世界各国の主要なコンクールにて優勝を果たす。
ジュネーブ、マルティニー(スイス)プラハ(チェコ)ブタペスト(ハンガリー)アンコーナ、トラーパニ(イタリア)その他多数。
創設より31年経た現在も質の高いオーケストラとして活動を続けている。
アカデミア・ナショナル・サンタチェチーリア(ローマ)ムスイカーレ・フィオレンティーナ(フローレンス)ローマ・オペラ座、ミラノ・スカラ座、ナポリ・サンカルロ劇場、また、ローマ、ミラノ、トリノ、ナポリのテレビ・ラジオ等のイタリアの主要なオーケストラ、そして、アメリカ、カナダ、ブラジル、アルゼンチン、ハンガリー、フランス、オーストリア、スペイン、スイス、ウルグアイ、チェコ、メキシコ、アラブ諸国、アフリカ、ドイツ、オーストラリア等でも活躍し、世界的評価も高く、音楽学者としての名声をもち、特に(故)ジョセッペ・シノーポリとの活動は顕著である。
フランチェスコ・モラッキ・ペルージャ音楽院、ローマ・サンタ・チェチーリア音楽院、ニューヨーク(アメリカ)、M・トウブランバ(ブラジル)、アルゼンチン音楽院(ブエノスアイレス)、ベイルート音楽院、カイロ音楽院、ボローニャ音楽院において、教鞭をとった。
現在、イタリア国立オットリーノ・レスピーギ・ラティーナ音楽院教授。
常任指揮者、芸術監督としても活躍。
サンフィリッポネーリのオラトリオ・セーコレ・フェスティバル、オペラ座、マンゾーニ劇場(ローマ)、フェスティバル・デッラ・トゥシャ(ビテルボ)、シィンポーニア・ラティーナ(ラティーナ)、アンコーナ、チッタ・デッラ・カステッロ、ランチャーノ、イタリア国内インターナショナル等の、フェスティバル、オペラ・パッシィオン(フランス)、その他多数。
2006年9月、愛知万博、エキスポドームにおいて、イタリア政府よりイタリアの総合伝統芸術を紹介するオペラ、レスピーギ作曲による”眠りの森の美女”を世界に向けて公演、1924年にレスピーギ自身がタクトをとり日本初演を果たした後の始めての日本公演でもあり、日本音楽史的にも意味深い公演となった。芸術的、伝統的には、イタリア、日本にとどまらず、世界各国から多大な評価を得、東洋と西洋における文化的距離を近ずけることに顕著に貢献することとなった。
愛知万博でのイタリアパビリオン成功の鍵となった眠れる森の美女の大成功を始め、これまでの真摯な音楽研究と活動を評価され、イタリア総合芸術であるオペラの分野において、そして、イタリア文化の担い手として、イタリア外務省、イタリア文化会館からの推薦を受けている指揮者である。
本年2006年、1929年建立され、マスカー二が開催公演を担いオープンされた歴史あるローマのイタリア劇場、別名マスカー二劇場の常任指揮者に就任。
日本においては、2007年、カルメン、ジャンニ スキッキ、蝶々夫人を、2008年、トスカを公演予定。同時にプロジェクト、”未来オペラ”を進行中。



